Dec 31, 2016

明日も楽しみだ、きっとおもしろく生きられると思えるまちに

こんにちは、江別市議会議員の堀です。2016年も、今日で最後ですね。今年も関わってくれる方々に、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

感謝の気持ち、これほんと冗談抜きの話でして、本気でわたしの身の回りの人すべてに対して思います。それはたとえ、キツくわたしに当たる方に対してもです。すべての人がいて、今の自分がある。何と言いますか、生かされていると言うかですね、わたしはつくづく幸せだなあということを、今日は記したいと思うんですよね。

このあいだ、研修で愛知県に行ってきたのですが、帰りたまたま通り道だったので、期間工をやっていたときに勤務していた工場や、住んでいた団地に立ち寄ってみました。
 
 
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住んでいた団地は「保見団地」というところで、丘一帯が団地となり、団地のなかにスーパーや病院など生活に必要な施設が揃っていて、団地まるごとが人工的なまちのようになっています。工場にはブラジル人の方も多く勤めていて、自分の寮があった棟の1階はブラジル食材のスーパーになっており、珍しい食材が所狭しと売られる。そんな世界観のなかで、1住居に3人というイマドキに言えばシェアハウス状態の寮で、生まれてはじめて遭遇するゴキブリに怯えながら、僕たちは工場と寮を行き来する日常を繰り返していました。

なんで、こんなむかしの話を思い出したかと言うと、運営委員をやっている江別演劇鑑賞会で、30周年記念の特別例会を今年やるのですが、その上演作品が『蟹工船』なのです。あらすじを知らないわけにはいかないなあとパンフレットを読んでいましたら、ぜんぜん程度が違うけど、この話、ひとごととは思えない。それが、僕にとっての工場労働だったのです。
 
 
勤務開始から一週間が経つ頃には、手が動かしにくくなり、関節がすぐ外れてしまうようになりました。工具を使って、一日じゅうボルトを締め続ける作業だったからです。その後も作業工程をこなせるようになることはなく、叱責され罵倒され続ける日々でした。とはいえ、僕が担当していた作業をこなせる人もいるわけで、自身も自分を責めるようになりました。以下に、齋藤純一氏『公共性』の一節を引用します。

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自らの言葉が他者によって受けとめられ、応答されるという経験は、誰にとっても生きていくための最も基本的な経験である。この経験によって回復される自尊あるいは名誉の感情は、他者からの蔑視や否認の眼差し、あるいは一方向的な保護の視線を跳ね返すことを可能にする。自己主張をおこない、異論を提起するためには、自らがある場所では肯定されているという感情がおそらく不可欠である。
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こうした基本的な経験と不可欠な感情を失い、否認され続ける日々。身体的な苦痛より、精神的が上回ったとき、辞よう、僕は意を決しました。そのためには、手段は選ばない。追いつめられてからの決断だったので、もしもこの意志が認めなければ、あらゆる手段を選ぶことなく認めさせてやる。そんな覚悟で、派遣会社の担当者との交渉に望みました。

電話で辞意を伝えると、「いますぐ来い」という強い言葉。でも、何も怖くありませんでした。なぜなら、手段は選ばないと決めていたからです。待ち合わせの喫茶店に入ると、言葉少く彼は僕に食事をおごり、段取りをするから1週間だけ待ってくれと言いました。僕はそれに、了解しました。

思えば、彼のことが嫌いではなかった。そして、たぶん認められたかったんだと思うんです。だから、自分の限界を伝えることを極端に引き伸ばしてしまったし、解決できないところまで進んでしまった。それと、派遣会社にも余裕がないことも感じていました。それは、その派遣会社の担当者が時折、工場のライン作業に入ることがあったからです。「また、誰か辞めちゃったのか…」。今度は、僕自らがそれを負わせることになります。

最後に、彼は言いました。「ちょっと忙しいから、送別会できなくてごめんな」と。
 
 
そして、最後日。まさに、死に狂いで働きました。作業が終わり、自分が遅れて迷惑を掛けていた人が別れの声を掛けてくれました。班長がジュースを買ってきてくれました。ベテラン期間工の人が「配属された場所が悪かっただけだ」となぐさめてくれました。僕だけでなく、みんな余裕がなかった。叱責や罵倒というのは、相手を否認するためだけに行なわれるものではなく、むしろ止む負えず、そうした表現でしかできない状態にあるものなのかもしれません。

また僕は、やはり仕事のできない人間でした。昼休み、派遣会社の担当者は僕の持ち場に現れて、早々と休憩を切り上げて遅れている作業を続ける僕に、「遅れたっていいんだよ」と語りかけました。まるで、兄のように。その言葉をずっと僕は聞き入れることもなく、うつむきながら黙って作業を続け、勝手に自分を追い詰めていた。僕は頑固で、助けを求めれることができたにも関わらず、与えられた環境でうまく立ち振る舞うことができなかった。どうしようもない人です。

僕もみんな、人間はいつも完璧ではないけれど、そうだとしても人間には気持ちの良さがあります。あのとき人のやさしさに触れず、人の道を踏み外していたら、今の自分はありません。辛かった、辛かったですけど、最後にはわたしにとって貴重な、とても大事な経験になりました。あの人たちは今、幸せだろうか… 平穏に2017年を迎えられているだろうか… それが気がかりです。
 
 
20代の頃、社会という海原に溺れかけ、もがいていたなあと思うんです、僕。それを、いろんな人に救っていただいた。そして今、僕のように必死でもがきながら日々を乗り越えている人が、きっとこのまちに、日本じゅうに、そして世界じゅうには必ず存在するんだろうなあと思うと、簡単に自分だけが救われてよかった、そう素直に喜べないというか、それで済ませられるほど気が強くないというか、小心者なせいでしょうか、見過ごせないと思うのです。

つくづく、僕は運が良かった。すっげー嫌いだったアイツから、目的意識を持つことと想像力を働かせることの大事さを知ることができた。伴走者のように、いつも叱咤し肯定してくれる人もいた。愚痴や希望を語り合える仲間もいた。本当に幸運だった。この僕が与えられたものを、誰か違う人に返すことはできないだろうか。
 
 
ちょっとした認知の転換で、解決する課題もある。でも当事者には、なかなかそれが見えない。明日も楽しみだ、きっとおもしろく生きることができる、多くの人がそう思えるようになるにはどうしたらいいだろうか。創造性に携え、自己効力感を感じられる環境をつくるにはどうしたらいいだろうか。そのために、小さくとも成功体験が重ねられ、目指すイメージになる代理が存在し、自らがある場所では肯定されるという仕組みをどう構築したらいいだろうか。自分が他者に応答され、環境に作用できるという可能性を認知できる社会を、わたしはつくりたい。

エゴかもしれません、偽善かもしれません、わたしの利己的な願いかもしれません。でも、余計なお世話かもしれないけど、微力かもしれないけど、あのときの僕のようにもがいている人がいたら、救いたい、そう心底から願うのです。そして、そう思えるようになれて本当によかった。だから、感謝の念に絶えないのです。

来年も、全力で働きます。
 
 
2017年、みなさまにとっても、わたしにとっても、明日も楽しみだ、きっとおもしろく生きることができると思える年になりますように。それでは、良いお年をお迎えください。
 
 
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編集者議員・堀直人
http://ebetsu2.net/

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